再度尾崎検証

狂気

狂気

まずはこのアルバムの

PINK FLOYD LYRICS

"Time"を読んで欲しい

Ticking away the moments that make up a dull day
You fritter and waste the hours in an off-hand way
Kicking around on a piece of ground in your home town
Waiting for someone or something to show you the way
Tired of lying in the sunshine staying home to watch the rain
You are young and life is long and there is time to kill today
And then the one day you find ten years have got behind you
No one told you when to run, you missed the starting gun
And you run and you run to catch up with the sun, but it's sinking
And racing around to come up behind you again
The sun is the same in the relative way, but you're older
And shorter of breath and one day closer to death
Every year is getting shorter, never seem to find the time
Plans that either come to naught or half a page of scribbled lines
Hanging on in quiet desparation is the English way
The time is gone the song is over, thought I'd something more to say

Home, home again
I like to be here when I can
When I come home cold and tired
It's good to warm my bones beside the fire
Far away, across the field, tolling on the iron bell
Calls the faithful to their knees
And hear the softly spoken magic spell

(訳)倦怠にまみれた一日を刻む時計の音
おまえはただ無造作に時を浪費していくだけ
故郷のちっぽけな土地からぢょ宇土もせず
手を引いて導いてくれるだれかか何かをまつだけ

陽だまりの中で寝そべることを飽き飽きして
家の中から降りしきる雨を眺める毎日
若いお前にとって人生は長く
どんなに無駄に使ってもあり余るほどだ

だが ある日お前は
10年があっという間に過ぎ去った事に気付く
いつ走りだせばいいのか 誰も教えてはくれない
そう お前は出発の合図を見逃したのだ

太陽に追いつこうと おまえはひたすら走る
だが太陽は沈んだかと思うと
やがて お前の背後から再び姿を現す
相対的に見れば太陽はいつまでも変わらず
お前だけがそうして年老いていく
息切れはますます激しく
お前は刻一刻としに近づいていく

歳月は年一年と矢のように過ぎ去り
お前は息をつく暇もない
お前の企みは全て失敗に終わり
残ったものは書きなぐった予定表だけ
そして お前は英国人らしく
ひそかな絶望に身を委ねていく
時はすぎゆき 歌もいつしか終わりを迎える
もっと言いたい事があったはずなのに…

 有名なプログレッシブバンド、PINKFLOYDの歌詞だが、「歌詞」が客観的で文学的なのがお分かりだろうか?私は自己陶酔的な歌詞は所詮商品にしかなりえないと思う。「歌詞」という事は、散文的で、自己解釈の入る余地がある言葉である。だが、尾崎はそこを勘違いしている。(というか、ほとんどのJ−POPは勘違いしているのだが)。あくまで事実に近い経験に基づいた「自由に解釈」する事が困難な歌詞が多いと思う。ま、商業的には成功しているので、それは価値あるものとして認めざるを得ない。ただ芸術という観点で見れば、これはまるで当てはまってない。歌詞の押し付けがましさ、語彙の少なさ、色々要因はあると思うが。
 次に尾崎のヴォーカル、これは、カラオケで(多分)今でも良く歌われる尾崎の楽曲だが、よく歌われているという事は、これは、だれでも、Voラインはなぞれるという事であり、この程度の歌なら誰でも歌えるよ、という事である。ヴォーカルの発声だが、はっきり言ってトレーニング不足。プロであるならば、ヴォーカルレッスンはキチンとマスターすべきである。
 それから、尾崎の死亡原因として、自殺説が流布されているが、もしこれが本当であるならば、それこそ本当のへたれである。人間だれしも大人になりオヤジになり、かつて尾崎が嫌っていた「大人」に自分がならないうちに、自らの命を絶とういう卑怯な逃げ口である。
 これにかんしてはカート・コバーンにも同様なことが言えるが。

 結論、尾崎の楽曲は「商品」以上のものでもなければ、以下のものでもない。ただ商業的に成功したストリートミュージシャンである。
 
 ある方のコメントに「論理的に」とあったので、それらしいことを書いてみましたが、いかがですか?納得できましたか?

さて、私は、自称芸術家であります。作品は自分の納得できるものができなければ公開しません。中途半端な作品でぼろくそな批評をうけたらそれこそ、飛ぶことが出来なくなった鳥みたいなものです。年齢的に、精神的にいまさら正社員なぞ不可能なんです。社会生活不適合者ですから。そして、私は「才能」ある人間である、と信じております。「才能がない」などと自覚してしまったら堕落の道を辿るのみだからです。ロンギヌスの槍が欲しいです。